弁護屋が子どもの気持ちを代弁するなよ、他人のクセに

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事件の経過を見守る立場上、
争いの過程における弁護士の「作文」を見る機会が少なくない。

 

作文なんて称するのは言うまでもなく、作られた内容の文章だからだ。

そのまんまの意味だね。

 

便宜上、連中も「本人の意思です」とか言っているけれど、
明らかに弁護士自身の主観と利己的な考えが内含されているような内容だ。

そう思うのにも、れっきとした理由がある。

 

あんまり詳しく書きすぎて「対策」されても困るからボカしながら言及するけれど、
聴き取りした上で記述した事実にしては情景が煽情的すぎるんだよ。

どう考えても、本人が伝えたような話じゃないだろう。

 

大抵の内容が妻の気持ちだったり、子どもの気持ちだったりするんだけれど、
事実関係を言及する文章にしては情緒面に偏り過ぎている。

 

作家か、お前は。

 

 

これ、要は事実関係で夫側を責められるネタが特にないから、
非難を肉付けするために情緒的な面から夫の悪辣さを演出しようとする試みなんだよね。

 

それはもはや、事実関係の答弁とは言い難いだろう。

そして、そんな煽情的な弁論をもって勝ちを得ようとする活動を、
弁護活動の一環として認めるべきではないだろう。

 

弁護屋側から「そもそも弁護士とはそういう仕事だ」みたいな反論も飛んできそうだけれど、
流石にそれは言っちゃあならんことくらいはわかるよな。

開き直るのならばそれでもいいが、
それって具体的事実の争いに弁護士の恣意性を介在させていると認めているようなもんだぜ?

そういったものに事実の認定として、法的な担保を与えてしまうのは不適切だろうが。

だって、それだと事実に対する法的解釈ではなく、
如何にそれらしい文章を書いてきたかで勝ち負けが決まってしまうことになるじゃん。

 

僕がここまで言うのも、その情景的な作文が、
実際の親子関係の認定において大きな影響を与えてしまっている実態を見てきているからだ。

 

情緒的な話って、後でいくらでも書けるでしょう。

要は、後から「あの時、実は嫌だった」とか言いたい放題なわけ。

 

それが今、具体的事実の認定に影響を与えるまでになっている。

その状態が不健全だって言っているの。

 

例えばだけれど、これまで子どもと仲良く暮らしていたのに、
妻が自分の浮気を正当化するために夫のモラハラ被害をでっちあげ。

離婚要求した上で養育費、財産分与だけはゲットして、
慰謝料も支払わずに浮気相手と再婚し、子どもには会わせない。

こんな話が、今、実際の事件でも当たり前のように起こっている。

 

そして、そういった不健全な活動の後押しをしているのが、
言うまでもなく妻側に張っついた弁護士だ。

 

前の記事でも言及したけれど、モラハラって自己決定権が主軸になるものだから、
「嫌だと思ってました」みたいな申し立てがマジで受け止められやすいわけ。

それが弁護士達の恰好の離婚ツールになっている。

 

事実に解釈の余地を挟み込むって、ホント、罪深いことだよ。

これまで積み重ねてきた努力と幸せの結晶を、横から打ち壊すような鬼畜行為だ。

 

その皮切り口になってしまっているのが、
弁護士達の煽情的な作文をマジで考慮してしまう司法の土壌。

 

司法が女に対して同情的なのを、うまく利用されてんだよ。

弁護士にも、女にも。

 

情緒的な面をないがしろにしていいわけじゃないが、
それを主軸に判断は下せないようにしていく必要があるだろう。

どっちを信用するとかじゃなくて、
この程度の訴えしかしてこられない者に対しては勝ち札を与えちゃあいけないんだ。

 

それを今後の司法に期待するのは間違っているのか。

 

 

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