男の離婚は命を賭けなければ対等には話せない

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男女平等という考えが台頭してから大分経つが、
実際の離婚等の交渉事例においてはそんなものなど程遠い世界のようにも感じる。

その違和感を感じる要因となっているのは、
主に女性に対する差別ではなく、特別扱いによるものだ。

 

基本的に離婚事例においては、女性は失うものがほとんどない。

むしろ失うどころか取りに行けるものの方が遥かに多いから、
必然的に戦い方が収奪的手段に偏りがちになる。

これは弁護士達が女性の離婚事案にご執心な理由の一つでもあるね

かっぱぎにいく戦いでは、かっぱいだ分がそのまま自分達の報酬につながるから、
獲れるのならば獲れる分だけ、みたいな略奪的な戦略に走った方が旨味が多いんだ。

 

その上でそんな収奪行為を行っているにもかかわらず、
周りからは「女性を守っている」と、称賛やバックアップを得やすい。

奪い取る戦いが、正義の戦いに変換されやすいということだ。

 

いかにも、ええかっこしいの弁護士達が群がりそうな話だろう。

奪うことが正当化される上に、名声まで得られるってんだからさ。

 

まるで、英雄の皮を被った盗賊だね。

 

これに対して男性側は基本的には奪われる側なので、
必然的に守る戦いに走りがちになる。

実際、弁護士に依頼する人も少なくないが、
弁護士も依頼人保護のために防御戦略でプランを練るから同じことだ。

 

でも、収奪者に対して専守防衛的な姿勢では、とても対等な立場で交渉などできない。

奪う正義の戦いでイキっている者に、
身を固めて追い払おうとするのでは対応として弱腰すぎるんだ。

侵奪されている立場なんだぞ、こっちは。

 

こういった場合は損害を覚悟の上で相手の首を獲りに出るという、
攻めの姿勢で臨まなければ対等にはなれない。

そのためには、攻めに徹することができるよう、
自ら積み荷を捨てていくようなスタイルが求められるだろう。

 

所謂、捨てる戦いだね。

 

捨てたり、失うことに怯えるのは当然だ。

しかし、それに恐れおののいていたら、それこそ相手の思うつぼになる。

そういう当然の方程式を自ら破壊していくことで、
望んだ結果につなげていくような戦いもあるということだ。

ただ、あくまでも目的は相手を滅ぼすことではないから、
全てを捨てて攻めに転じる必要はない。

これだけは譲れないというたった一つだけのは持っておいて、
それを守るために全てを捨てるという覚悟で臨むべきという話をしている。

 

男性の場合は今のご時世、やはり子どもとの関係でそれを選択する人が多いな。

そこに全てを賭けられるか、という男の器量が問われる戦いなんだよ、これは。

 

男が理不尽からなにかを守るためには、そういう決死の覚悟が求められるんだ。

 

捨てるべき時に捨てる選択ができる者は少ない。

その辛さと恐ろしさは、僕も重々理解はしている。

ただ、僕自身も昔に経験して、実際にやってみせたことだけれど、
孤軍奮闘の戦いは命のやり取りにもっていかないとどうあっても風上には立てない。

無論、刀で斬り合ったりするわけじゃないが、
命を賭けるというのは、決して言い過ぎな表現ではないと思う。

少なくとも、当時の僕はそういう心持だった。

 

奪う側だって、そこまでの覚悟で奪いにきているわけじゃないんだよ。

だから自ら命をBetに賭けて、相手にも奪われるプレッシャーを与えてやれ。

 

男はそこまでやって、初めて相手と同じ立場で話をすることができるんだ。

 

 

行政書士明和事務所

吉田 重信

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