出会いと別れのプロセスを多く経験していない男は強くなれない

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昨今では精神的な苦痛に耐えられないような男性を目にする機会が多い。

仕事上の悩み等のショックももちろんなんだけれど、
そういった日常生活上での問題以外の点についてナーバスになっている感じだね。

 

それは主に、対人関係におけるものだ。

 

うまくいかない、冷たくされるといったようなメジャーな問題はもちろんなんだけれど、
人との距離感やこれまでの関係、要は「別れ」に対する耐性が低い人が増えたな、と感じる。

 

世情によるものもあるかもしれないけれど、
個人的な感覚から察するに、恐らくこれは当事者の内面的な問題だね。

外的な要因が主観的な作用に影響を与えるには相応の変化が必要だが、
一般的な「別れ」に関する概要は昔とそんなに変わったとは思えないからだ。

 

単純に、これまでの関係が終わるということに対して、
個人的に承知できない人が多い。

 

それゆえに、ここ最近ではそういうものに振り回されたくないから、と、
感情的に揺さぶられる機会を事態を極端に避けてしまう傾向も見られるな。

恋愛というテーブル自体から降りてしまったり、
初めから家庭や家族を持つことを避けたりするのもそういった影響からだろうね。

子どもとの別れに関しては、
一昔前では考えられないくらい男性がウェットな感情になるケースが少なくない。

 

これは結局のところ対人関係というものを、
己の人生におけるプライオリティの上部においてしまっているのが原因だろう。

だから、人との関係の変化によって、
自分の身持ちに影響が出るくらいのダメージを受けてしまうのだと思う。

 

そうなってしまったのは対人関係が希薄な今のご時世だからこそ、
数少ない人との接点はより大切にしようという思考に偏りがちだからではないかと考える。

子どもを自分好みのペットみたいに育てようとする親が目に付くようになったのも、
狭い世界内で子どもという存在と向き合っていたりなんかするからだ。

 

その結果、去っていく相手に対して「裏切り」という感情を抱いてしまう。

 

 

この傾向は、はっきり言って不健全だよ。

他人に対する期待値がデカすぎるから、
人が自分の下から去ることを承知できないんじゃないのか。

 

それは裏を返せば、己という存在を過大評価しているからだろう

 

他人なんて元々、自分に対して淡白で、いいかげんなものなんだ。

パートナーはもちろん、仮に自分の子どもであったとしてもな。

 

自分とは別の感情と思考を持った別の個体なんだから、
去りたい時には勝手に去る。

そんなもんだろう。

 

それに対していちいち気が触れていたりなんかしたら、
対人間を泳いでいかなければならない社会で一体、どうやって渡世してゆくというのか。

 

 

狭まった世界における愛情は、執着という負荷にも変化する。

 

ウェットな感情の存在を否定するわけではないが、
人は出会いと別れを繰り返して成長するものという原点を改めて思い出す必要があるな。

これは歳を取って、親になったとしても変わらない。

 

別れという行動をネガティヴなものとして捉えている内は、
まだまだ渡世人として青いってこったよ。

 

特に男は孤独を知らないと成長できない。

人生の要所で己と向き合う時間に恵まれなかった者は、
結局、追い詰められた最後の場面で音を上げるようなツメの甘い存在になる。

 

地金を晒すくらいならば、いっそ散った方が良いという潔さを身に付けるためにも、
別れ、失うというプロセスを数多く経験しておいた方がいい。

 

 

別れを知るんだ、男なら。

 

 

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