モラハラにあたる行為であるかどうかは他人が決めることじゃない

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専門家が記事等でモラハラを論じている様を見てみると、
どんな行為がモラハラに該当するのかを箇条書き等で挙げている場合が多い。

しかし、厳密に言えばモラハラといった行為に対して、
加害行為を主軸にした論じ方をするのは間違っていると言わざるを得ないな。

 

何がモラハラであると感じるかは、被害者の主観だろう。

加害者側の主観や第三者の客観性をもって、
その行為がモラハラに該当するかどうかが決まるわけじゃない。

 

これは厳密に論じると、自己決定権の話でな。

自らの身の回りで起こったことの是非は、
自分で決めることができると、憲法上でも人権として認められているんだよ。

モラハラにしても、セクハラなんかにしても、
基本的にはこれが大元となった上で論じられている社会問題なわけ。

 

つまり、外部から勝手に夫の行為をモラハラ認定したり、
妻の行為をモラハラじゃない認定している見解は皆、その大元の考えが抜けた上での話なんだ。

 

有り体に言えば、当事者が嫌がればモラハラになるが、
嫌がらなければモラハラじゃない。

したがって、外部の人間が人の家庭の話を聞いて、
「それってモラハラじゃない?」と言ったりするのは根本から間違っているというわけ。

にもかかわらず、現実では一般の人やメディアだけでなく、
役所の支援窓口や法テラスでも、「それはモラハラです」みたいな意見を言われる機会は多い。

当事者が嫌がっているというよりも、
嫌がる、問題にしたがるように誘導しているような状態だ。

 

これを公の機関や弁護士達が言っているのだから、たまらないよなぁ。

これじゃあ、事件を作っていると言われても仕方がないだろう。

 

実際問題として、モラハラみたいな独り歩きし始めた言葉が、
他人の家庭内に口出しをする皮切り口になっているような実態もある。

 

これは家庭を維持していく上で由々しき問題なんだよ。

他人の考えや価値観なんて、家庭内においては異物なんだからさ。

 

言葉のツール化によって我が物顔で侵食してくる他人の意見や考えこそが、
家庭内の当事者にとっての本当のモラハラ被害なんじゃないのか。

 

 

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