子どものためって、なんなんだろうな

家庭問題,男の離婚子ども,子の福祉,子の連れ去り,愛情の形,面会交流

書いている人

行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

・事務所案内・プロフィール

・お問い合わせへ

 

出版物 amazon、楽天にて販売中

「離婚を考えた男が最初に読む本」

amazonで詳細を見る

楽天koboからのご購入はこちらから

 

 

この界隈で仕事をしていると、
他人様の吐く「子の福祉」とやらのご高説を賜る機会が少なくない。

 

でも、他人が語れる子の福祉って、なんなんだろうな。

子どものため、と謳うのならば、
当然、将来に寄与するようなものでなければならないだろう。

 

しかし、所詮、吐いているのは他人でしかないから、
日常的な教育や、社会倫理に関する説教なんかは含まれないはずだよね。

 

他人にそんなことをされても、言われる立場としては異物感半端ないし。

他人の考える「子としての正しさ」なんて無責任な理想論でしかないから、
そんなものを子にインストールするのは、正直、親としてもやめてもらいたいところだよね。

 

そうなると、他人の論ずる子の福祉ってのは人の成長に寄与するものではなく、
あくまでも外形面を整えることを指しているとも言えるだろう。

 

でも、それって自分で生きているというよりも、
他人の管理物として生かされているようなもんなんじゃないのかな。

正直、ペットを可愛がっているレベルと変わらないと思う。

 

人格形成や社会性のある倫理観を身に付けるためには、
良いことばっかりじゃなくて、説教されたり、嫌なこともやらされたり、辛い経験をしたり。

そういった負荷から自分で学び取ることだって、たくさんあると思うんだよ。

 

これは生活の環境面にしたってそうだし、家庭内の事情面においてもそうだ。

人生は山あり谷ありが普通なのだから、
皆、形は違えど、そういったプロセスを得て成長するのが人間ってもんだろう。

 

苛烈な事例においては、仕方がない。

家庭内暴力等の理由で、子どもの身の危険が今にも迫っているような事例であれば、
そんな悠長なことなど言っていられないというのは理解できる。

しかし、現在の「子の福祉」が問題として争われている事例の多数って、
どう考えてもそんな深刻な案件ではないでしょう。

区別がつかないから、といった理由で、
それを出すだけで親子の引き剥がしができている現状には、やっぱり違和感ありまくりだよね。

 

「子の福祉」を理由にして他人の子を親元から無理やり遠ざけて、
舗装された道だけしか歩かせないのは、虐待と変わらないんじゃないかと僕は思う。

だって、それだけ成長する機会を奪ってしまっているわけだし。

 

他人の意見は、所詮、どんなに頑張ったって他人の意見だよ。

 

これは、僕の立場にしたって、そう。

どんなに一生懸命になったところで、僕ら士業は他人以上の立場にはなれないのだから、
あくまでも他人の意見として論ずることに徹底しなければならない。

 

子どものためという価値観をバイアスなしで語れるのは、やっぱり親だけだよ。

 

だから子どもに対する考えについては、
世間も裁判所も、もう少し、親の意見に耳を傾けてくれてもいいんじゃないのかな。

 

 

行政書士明和事務所

吉田 重信

ご相談はこちらからどうぞ