身勝手な妻を愛し続けることは不合理か

家庭問題,男女関係家族,愛情の形,男と女,男の人生

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行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

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互いに不幸にしかならないんじゃないか、
稀にハタからどう見ても、そうとしか言いようのない夫婦関係もあったりする。

 

「やめときゃあいいのに」、「そんなのと一緒にいて何の得が」

 

そういった事を他人から言われ続けながらも、
関係を続けていくような夫婦も実際問題としているわけだ。

これについては男女問わずの話であるが、
一応、ウチは男性側の事務所だから男の立場で論じてみるか。

 

男性の場合、パートナーがやたらと奔放であったり、
感情の起伏が激しいタイプや通報魔であったりする等、振り回されているようなケースが多い。

パッと見は横暴で身勝手する妻に対して、
それでも離れられない情けない夫かのように見えるかもしれないな。

 

しかし、愛情とは客観的な価値観のみで良し悪しを図れる類のものではない。

 

 

そもそも、愛情なんてものは理不尽であり、不条理なんだよなぁ。

家庭を持って、子がいて、家庭を維持してきた方々は分かるかと思うけれど、
家庭内での愛情のやり取りでキャッチボールは成立しないことが多い。

投げたからといって返ってくるとは限らないし、
場合によっては+の気持ちでやってきたことが-となって返ってくることも往々にしてある。

 

それに対して否定、批判をするのは簡単だ。

「相手の気持ちをわかっていない」と、一般論で一蹴すればよろしい。

 

しかし、一般論では説明がつかないのも愛情であり、夫婦関係なのだ。

 

上記は一般的な家庭内でも起こり得るすれ違いだから、
この程度の事はどこの家庭でもうまく折り合いをつけてやっていっていることだろう。

問題は、それを超えるような事例についてだね。

 

世の中には妻が浮気をしようが、自分を警察に通報しようが、
それでも一緒にいたいのだという人もいる。

 

これに対しては、否定したり茶化したりするような論調が目立ちがちだけれど、
僕は断じて「それは違うだろう」と言いたい。

 

愛情は形も多種多様であるが、その間口の大きさもまた人によって異なるものだからだ。

一般論で定義付けできるような話じゃあないし、していい話でもない。

 

間口の広い愛情を持っていることはある意味では才能だと思うから、
それを外から概要だけ見て否定する気にはなれないな。

 

それに、こういった気性の方は経験上、とても辛く悲しい人生を歩むことになる可能性が高い。

世の中の人達は皆、そんなに愛情の間口は広くないから、
基本、利用されたり喰われたりする立場に回ってしまいがちになる。

 

僕にはそれがわかるから、どうしてもそういう人には慈愛心をもって対応してしまうのだけれど、
世間では厳しい立場に晒される傾向にある故、皆、自身で思いつめて究極の選択をしてしまう。

 

 

そういった自分の特性を承知した上で愛情バカと開き直って生きるか、

間口が広すぎる己の愛情を危険物とみなして、完全に間口を閉じきってしまうか、だ。

 

悲しい選択だね。

 

 

結局、自己完結で終われるのであれば他人がどうこう言うべきことではない、で終わる話なのだが、
こういった気性の方は身近にいる人達もその狂った愛憎劇に巻き込まれる傾向にある。

親族、親御さんなんか、特に大変みたいだね。

 

だから、この手の話における是非の議論は尽きないんだよな。

 

 

結論としては、

 

合理性如きで判断はできない。

ただ、他人の物差しで測りきれる話でもないから、
本人が望むのであれば、自ら踵を返すまで否定せずにそっとしておいて。

 

といった所だろう。

 

結論と言うよりも、若干、僕個人の願いも込めて、だな。

 

 

今日は流石に疲れた。

 

こういった形無きものに対して、一定の論評を加えるのはやっぱり酷く骨が折れるよ。

 

 

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