実態の伴わない内助の功など離婚時に評価すべきではない
法律上、婚姻は夫婦の互いの支えによって維持されてゆくものとされている。(民法752条)
これは経済面においてだけでなく、生活面においても言えることだから、
収入を得てくる一方だけでなく、専業主婦等の行為も支えの一環として評価されるものだ。
所謂、内助の功というヤツだね。
これは離婚時の資産分割なんかで考慮が表面化しやすい話で、
主に財産分与においてはこの内助の功が基となって換算されるのが原則となっている。
財産分与は婚姻継続時に構築した資産の分割であるから、
その資産は妻の内助の功によって構築できたという面もある。
したがって、名義云々は別問題として、
妻はその資産についても潜在的に持ち分を有するので、離婚時には分割すべきもの。
というのが財産分与に対する基本的な考え方だ。
実務上でも財産分与に関しては、
原則として折半する形で処理するのが一般的になっている。
でもさ、それっておかしくない?
今のご時世、離婚に至る夫婦の主婦が皆、家の中のことちゃんとやって、
一方を支えていたとか言える事例ばかりじゃないだろう。
妻が家の中をめちゃくちゃにした挙句、
婚姻生活の継続が難しくなった故の離婚事例なんか腐るほどあるんだけれど。
そういったケースについても、
この財産分与における内助の功はあまり争われない傾向がある。
当事者が辟易してしまっているのならば、それは仕方がない。
実際、ウチに相談しに来る人達でも、
「金なんかどうでもいいから早く終わらせたい」という人は多いからね。
でも、そういった話だけじゃなくても、
この件については一律に折半をするというのが当たり前の扱いになっている。
争いの余地があるんだから争え、とか言ってんじゃなくて、
一律に折半が原則とされている現状は、今のご時世に本当に合っているのかなと思うわけ。
冒頭で収入を得てくるのを夫などと絞らなかったのも、
昨今の男女関係ではそれが一律にセオリーとは言えない状況になってきたからだ。
世間での概要が変わってくれば、
当然、過去の取り扱い方では不合理な面が出てくる。
例えば、収入や勤務時間に差があったり、実家に頼りきりで、
実質的には本人に評価される点などなにも見受けられないようなケースだね。
折半を満額として考えて、
あとは相対評価していく方が今の時代に合っているんじゃないのかな。
だって、そんなの当たり前じゃん。
家事も満足にせず、子の相手も任せきりで、
ソファーでケツ搔いていただけのヤツになんの内助があるってんだよ。
実態も勘案せずに絶対評価が当然みたいになっている、
今の運用状況がどうかしている。
そういうのを全部ひっくるめて、一律に内助の功を認めるのは、
ちゃんとやってきた人達に対してもすごく失礼なことだと思うぞ、僕は。
やってもやらなくても同じってのは、努力や苦労を評価しないということでもある。
人への評価基準としては流石に哀しすぎる話だろう。
特に家庭内という人の生活面が大きく絡む領域では、
一生懸命に生きてきたかどうかという姿勢は評価されて然るべきだ。
婚姻は法律上の効果を伴う身分行為だが、
ハナから法律効果を期待して行うようなものではない。
人はなにゆえに婚姻に至り、そこで家庭を育むのか、という本質的な話だね。
情緒的な動機でする行為に法的効果を与えることを婚姻が認めているのならば、
それによって発生する権利義務の解釈においても、それは類推されるべきなんじゃないのか。
自分で書いておいてなんだが、
こりゃあ、とてもじゃないが法の解釈の話とは言えんなぁ。
でも、家族法においては、そんな領域の話もあっていいと思うんだよ、うん。
でないとみんな、家庭に対して一生懸命になれないじゃん。
行政書士明和事務所
吉田 重信
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