夫が自我を持つことを否定する猟奇的な家庭環境

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人生とは、己の意思あってのものだろう。

自ら考え、なにかを選択し、
道を切り開いていくためにも、それは必須だからだ。

 

特に一人で勝負する機会の多い男は、
自我をもって己の社会的立場の形成に至るという面もある。

自分で考えない、なにも決められない、
そんな男に社会から下される評価なんて、言うまでもないだろう。

 

男は社会に出たら、自分の意思で生き方を決めるのだ。

 

しかし、最近では家庭内においては自我のある男の態度は叩かれる傾向にあるな。

自分を出したりせずに、パートナーに気を遣い、
大人しく低燃費で生活し続けることが望ましいとされているのだという。

 

 

でも、それってなんのためなんだろうね。

もっと言うと、それで男は何のために生きていると言えるのか。

 

女が自由気ままに、心配事もストレスもなく生活するためか?

なんの見返りも代償も差し出すわけでもないのに?

 

 

これ、逆に言うと、男に社会的な立場も築かせずに、
ただ金だけを持ってくる存在でい続けろって言っているのと同じことだぜ?

とんでもない人権侵害、差別的な考え方だろう。

 

それに夫が社会的立場を築けないってことは、
それによる不利益は回り巡って家族が全員で享受することになる。

結果的には、子どもに惨めな思いをさせることにもつながるんだ。

 

でも、ワイドショーなんか見ていると、
こういった論調を悪びれもなく紹介し、肯定したりしているんだよなぁ。

公共の電波を使ってだぜ?

 

低燃費夫とか言ってそんな扱いを賛美するかのような内容の放送もあったけれど、
あれを身勝手でおかしいと思わない感性はマズいだろう。

 

猟奇的過ぎる。

 

 

確かにこういう考え方自体は昔からあったんだよ。

亭主元気で留守がいい、なんて言葉もあるくらいだからな。

 

でも、そんな言葉が生まれたのは、
徹底した男の家長主義が当時の家庭内で浸透していた故の反動だろう。

ちゃんと妻としての役割と労力を割いていた背景があったからこそ、
悪たれ口の一環として吐いても周りに理解されやすかったんだよ。

 

それにそう言うのは、お互い自由であっていいよね、という意見の裏返しでもある。

男から自我まで奪おうなんて猟奇的な考えが基になっているわけじゃない。

 

 

メンドクサイし邪魔だからとにかく大人しくしてて、なんて、
自分が努力をしたくないと言っているのと同じだ。

 

子どもに対してそれをやったら、育児放棄になるだろう。

そのくらい、無責任でいいかげんな対応なんだよ。

 

互いに苦労と我慢をしながら、関係を強固にしていくのが家庭であり、家族。

好き勝手にさせてやるのが愛情みたいな現代の自然体主義の考え方は、
そもそもの育ちの面での問題とも言えるな。

 

大元を正せば親が悪いんだよ、親が。

ペットみたいに大事に育てられた子が多いから、
自由にさせてストレスをかけない=愛情の証みたいな歪んだ捉え方をするのだろう。

 

 

でもそれじゃあ、獣と共同生活しているのと変わらない。

 

 

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