父親からの子への愛情を評価し辛い第三者事情

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行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

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離婚等で子の処遇を争う事なんかになった際、
処遇の決定を求める第三者に対して的を外した対応をしてしまう父親は多い。

自分がいかに子に愛情を注いているか
そういったことを熱心に語ることに終始してしまう人が後を絶たないんだ。

 

気持ちはわかる。

子が生きていくためには親が必要、
その親がこれだけ愛しているのだから、自分のところにいた方が良いはず。

これはそういった自信と希望、
言っちゃあ悪いが、願望が具現化した行動だと言える。

 

自分こそが、この子の親にふさわしい。

そこを親として評価してもらいたいという、言わば、エゴだ。

 

しかし、第三者からしたら、
そんなことを言われてもどうにも評価し辛い事情もある。

あくまでも他人である第三者からしたら、
人様の家庭内を評価するには、超個人主義に徹するほかない。

 

もともと、他人が決められるようなことではないのだけれど、
それでも職務上で決めなければならない立場。

そうなった際に設けられる基準といったら、
もう、外的に一律評価ができる一般論に走らざるを得ない。

 

 

すなわち、子にとって何がプラスとなるか、だ。

 

 

母性優先の原則なんかも、それに従った一般的な基準に過ぎない。

 

皆、他人が評価するのにも限界があることくらいはわかっているんだよ。

だから、こういったことは個人的な印象や考え方なんかよりも、
先例に則った上で画一的な判断に傾倒しがちになるのは必然なんだ。

 

したがって、父親がどれだけ自分は子を大切にしているかを説いても、
子の処遇においては、他人から評価されるものとは思わない方が良いだろう。

 

本一冊になろうかというくらい一生懸命書いていったのに、
読まれもせずに突っ返されたという話も聞くくらいだ。

世知辛い話だが、これは他人が人様の家庭内に判断を下すという、
不合理に対する合理的判断とも言える。

 

仮に裁判所であったとしても、
他所の家庭に対してはパーペキであることなんてできないんだよね。

それは裁判所だってわかってんのよ、多分。

 

だから、母性優先みたいな一律的な判断に偏りがちにならざるを得ない面もあるんだ。

 

でも、個別の事例は確実に存在はするから、
そこはちゃんと見てもらいたいという父親の訴えは無視しないでもらいたいよね。

浮気とかしまくってて、ネグレクトとまでは言えなくても、
子の成長に悪影響を与えるような母親だって珍しくないご時世なんだからさ。

 

父親側も、そういった第三者事情を斟酌した上で、
自分が何を訴え、伝えてゆくべきなのかをよく考えていかないとな。

 

 

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