「自由にさせて」と家庭を放棄する妻達

家庭問題モラハラ妻,世の中の出来事,家族,愛情の形,生き方

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行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

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最近の相談事では、妻がなにかにつけて激高するから、
一体、どう接していったらいいのかという話も少なくない。

 

日頃、なにかちょっとでも気に食わないことがあったりすると、
それを大仰に指摘してそんな状況にした夫を徹底的に責めるのだという。

なにかトラブルがあったからとかそんなのじゃなくて、
日頃の受け答えだとか、家族との付き合いだとか、家の中のやらなきゃいけないこととか。

そういう負荷がかかるようなものを、
自分が気に入らない時に持ってこられたりした時に激高するらしい。

 

要は自分が受け入れられるタイミングじゃない時は、
こっちの領域に入ってくるなってことだね。

 

これ、詰まるところは自由でいさせろという要求なんだと思うけれど、
社会人として、大人として、そんな領域で自由にしている人っているのかな。

皆、大概の事は嫌なことを嫌なタイミングで聞いたりもするものだし、
やらなければならないことだから、と割り切って対応したりするものだ。

それが一人の大人の責務であり、社会性のある人間としての在り方だろう。

 

ここ最近の事例を見た限りでは、
そういう我慢ができない、受け入れがたい人がとても増えたように感じる。

要は堪え性がないんだよな。

 

あとメリハリがないというか、物事を自我と役割で分けて考えることができない。

腹が立つし、嫌だけれど、それはそれ、これはこれ、と、
個人的な感情と立場としての役割を別の顔として演じることができないんだ。

 

だから、今の人は自我をそのまんま外に出しちゃう。

以前の記事でもチラと言及したけれど、
夫の母親に対しても話しかけられたら「うるせー!死ね!」とか言っちゃうの。

 

ビハインドを負っていない人が多いんだよ、今の人は。

社会で築いた己の立場ってのが特にないから、周りから非常識と思われるとか考えない。

そうなると行動原則の中心が、自分がどうしたいか、どう思ったか、という、
極めて自己中心的な場所に存在するようになる。

それでは家庭を維持することなんて、できないだろう。

 

 

家の中でも演じるなんておかしい!
家族なら本当の自分を受け入れるべき!とか考えちゃうあなた。

 

皆、そのくらいはやってんのよ。

世の中の家庭を持っている人達が、我慢していないわけがないじゃない。

 

 

不平不満なんかあって当然なんだけれど、
我慢して、相手と自分に折り合いをつけながらやっていっている姿が普通なわけ。

 

本当の自分を受け入れるべきなんてのは、子どもの要求、甘えでしかないんだ。

まぁ、たまには家族に甘えるのもいいとは思うがね。

 

でも、それをデフォルトで要求するのは、
自分は家庭を維持する努力をしないと宣言しているのと同じ。

負荷をパートナーだけに押し付けているのと変わらないんだよ。

 

本音なんて、むやみやたらと出したりしないんだ大人は。

自由でいさせろなんてのは、野生児でいさせろと言っているのと変わらない。

 

 

思いやりは自分を映す鏡だよ。

 

相手が自分を思いやってくれないと嘆く前に、
自分が相手のことをこれまで思いやってあげたかを考えてみるといい。

 

 

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