子が親離れしようとすることを受け入れるのも親の役目

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子との関係性を重視する親は多い。

まあ、これは当たり前か。

 

面会交流の相談なんかを聞いていると、
皆、子との関係が断たれてしまうことを非常に心配している。

 

幼子の場合は特に、だ。

子の思い出の中から、自分がいなくなることを怯えているみたいだね。

 

近年の家族への価値感の変化も相まって、
昔よりも子という存在に対して強烈なインプレッションを持っている男親は多い。

今のご時世は社会の中に自分の居場所を作るような世情じゃないから、
家庭内、特に自分の子に対して己の存在意義を見出そうとする親が増えたんだ。

 

これは別に一概に悪いことだとは思わない。

父親が家庭内に目を向ける良いきっかけになっている面もあるからな。

 

ただ、期待のし過ぎも良くない。

子は、基本的に親の思い通りになんか育たないからね。

 

いずれは親元を去るのも、子の宿命なんだ。

これは物理的にという意味ではもちろんだが、精神面的な面における意味合いでもある。

 

よく反抗期の有無や良し悪しが論じられることもあるが、
子が親の考え方から逸脱しようとすることは、子にとっては健全な行為だ。

 

子にだって自我があるからね。

いつまでも加護の下ではいられないし、従属もしていられない。

反抗期はそれを断ち切ろうとする、子の通過儀礼なんだ。

 

いわば、精神的な面での自立だよ。

 

そもそも、なんで本稿を書こうと思ったかというと、
前述した時代背景も相まって、子とのつながりに幻想を抱いている親が多いと感じたからだ。

まぁ、これは今の現役世代に限った話じゃないがね。

 

所謂、団塊の世代と言われている親のあたりからも、
まるで子を自分のペットみたいに見ているんじゃないかと感じる事例もある。

 

子ってのは所詮、自分以外の他人に過ぎない。

血のつながりはあるだろうから、厳密に言えば他人ではないけれど、
自分とは違った考えを持ち、いずれは自分の足で歩いていく一人の人間なんだ。

それを理解せずに期待値だけが上回ってしまうと、
自立してゆく子にとって、親は人生最大の敵になってしまう。

だから、自分の手元を離れていくことに対して、
反抗されたなんて考えて元の場所に戻したりしようとか考えてはいけない。

 

期待とのギャップを認められない親からの反応が、
かえってより子の居場所を失わせているような事例が数多く存在するからだ。

そして、そういう事例ほど、親が親になりきれず、
自立しようとした子に対して、子どもみたいな対応を取ってしまうケースもある。

 

子は自立はしようとするけれど、いきなり完璧でなんかいられない。

足を折った時に休む場所くらいは提供する、
そういう、黙って受け止めてやる態度を示すのも親の務めなんじゃないのか。

 

 

生きるということは、本来的には醜く汚い行為だ。

親世代というものは、大なり小なり、皆、そういう経験をしてきて親になっている。

それ故に、自分の子に限っては、と、
現実から隔離する形で環境を整えようとする傾向がどの世代においても強く見られる。

 

しかし、子がいくつになってもそれでは、
子が一人の人間として、自立し、生きることを否定しているのと同じだ。

安易に「毒親」などと言ったりする昨今の世情には反感があるが、
そんな風に言われてしまうのは、やはり親の方にも大いに原因があるのだろう。

 

 

子に期待してしまうのは、親のサガだ。

これは仕方がない。

 

しかし、過度に期待なんかしちゃあダメだよ。

所詮、自分の子なんだぜ?

 

乗り越えていく山として存在しているのはいいが、
攻略できる道を全て塞いで立ちはだかってしまうのは親のやることじゃない。

安易に「迂回する」という選択肢を取る癖を子につけさせないためにも、
これは教育の一環として大事なことだと思う。

 

そして、親にとっては、子の自我の存在を認めることが、
親としての最大の山場と言えるのかもしれないな。

 

 

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