裁判で女が有利にされがちな原因は過去に対する羨望か

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既に違憲判決により廃止されているが、
過去の刑法には尊属殺人重罰規定という決まりがあった。

これは世間的にも有名な事件だから今更、説明するまでもないかもしれないが、
過去の法律には自分の親とかの所謂、「尊属」に対する殺人は重罰とされていたんだよ。

それこそ、無期懲役か死刑しか選択肢がない程にな。

 

これは当時、まだ儒教的な思想が色濃く存在していた時代の名残で、
目上の存在とされていた尊属に対しての加害行為は厳しく取り締まる傾向にあった。

しかし、有名な判例となったあの事件には特別な事情があり、
そのまま被告に重罰規定を適用するにはあまりにも不条理すぎたんだね。

それ故に当時事件を担当した司法の各関係者が考えを巡らせ、
尊属殺人重罰規定自体に違憲判決を下し、廃止に追い込むことで被告の女性を救ったんだ。

あの一件は事件と法律にこれ以上にないくらい真剣に向き合ったと言えるような事例で、
結果として法律業界では必ず教科書に記述されるほどの有名判例となった。

 

世間からもその姿勢と考え方が支持され、高い評価を受けた事例だよね。

個人的にも、当時の関係者の機転と覚悟には敬意を表したいと思う。

 

 

ただ、この一件を踏まえた上で、ちょっと気になることもある。

 

 

もしかして、この価値観が未だに業界内で評価を引きずっていて、
それによる影響で刑事裁判をはじめとした司法手続き関連で女性に甘いのではないか、と。

 

女性の立場や考えに理解を示して温情をかけることが、
司法としての望ましい姿などと考えられているのではないか、と。

 

 

あの件が社会的に評価をされたのは、
「女性に温情判決を下したから」なんて薄っぺらい理由なんかじゃないはずだぜ?

流石に、そのくらいはわかっているとは思うが。

 

これが僕の杞憂や勘違いというのならば、単に僕がバカだったで済む話だからそれで良い。

ただ、近頃の事件の判決を見ていると、どうしても疑問符が出てくるようなこともある。

 

近年ありがちな交際相手と共に子どもを虐待死させてしまうような事例にまで、
母親の立場への理解と温情を示す必要性が一体、どこにあるというのか。

 

ああいった事例を見てしまうとどうしても、
なにかおかしなバイアスがかかっていやしないかと勘繰ってしまうな。

子どもの人生を尊重するのであれば、
後に起こるであろう事件への影響も考えてこんな判断は下せないはずだろう。

亡くなった者よりも今を生きている者の人生の方が尊重されるというのならば、
虐待児は生かしておくよりも殺してしまった方が良いみたいな流れにもなりかねないじゃん。

 

殺人なんて重大事件の判断においては、性善説は採用してはならないと思うんだよね。

不慮の事故とかならばいざ知らず、
故意性のある人死になんて普通にしてたら起こらないんだからさ。

 

当事者の意思だけでなく事情も加味した上で、
世情的にも極めて合理性を欠くような事例であれば、温情判決も理解する余地はある。

そこは個人的にも、あってもらいたいと思うところだ。

先の尊属殺人重罰規定の判例が業界内だけでなく世間からも評価されたのも、
そういった考慮の末の結論であったからだろう。

しかし、一般的な感覚を欠いた形で、ただ、女性に理解を示しただけでは、
誰もその結論に納得できないし、評価もしないと思うんだよね。

 

人が生きてゆく上で尊重されるべき「尊厳」というものについて、
今一度、深い理解を示すことが必要なのではないか。

 

そこのバイアスが狂っているような結論は、
如何に裁判所の出したものと言えども支持することはできないな。

 

 

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