DV加害者からの言葉だけの謝罪はアテにしてはならない

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行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

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別れ話等、手を上げる者が窮地に立たされた際、
大抵が平謝りしながら許しを請うたりするものだろう。

 

その際によく出がちな言葉が、「もう二度としない」等の媚び文句。

こういった相手のしおらしい態度に、
つい仏心を出してしまう人もいるみたいなんだけれど、ちょっと待ってもらいたい。

 

二度としない、とか言っている時点でおかしくないか。

 

いや、最初からするなっつうの。

手が出てる時点で普通じゃないんだって。

 

「手を出されるようなことをする方が悪い」とか言うようなケースも見かけるけれど、
叩いて人に言う事を聞かせるみたいなその発想自体がヤバイんだって。

 

まず、その異常性に本人が気づいていないと、
いくら「直すから」などと言っていても意味はないだろう。

 

なにを直す必要があるのか、それすらがわかっていない可能性が高い。

 

要は、こういう言葉は売り言葉に買い言葉に近いものなんだよ。

それが啖呵と謝罪に置き換わっただけに過ぎない。

 

手を上げられた側が腹を決めて話をしたから、
それに対する「受け答え」として返しているだけの言葉。

謝罪や改善への一念発起の意図が含まれているわけではない。

 

だから、二度としないという言葉を、「言葉」としては受け取らない方がよろしい。

 

本当にマズいことをした自覚があるのならば、
なぜ、そこまでに至る間にどうにかしようとしなかったのか。

そういう出足が遅れている時点で、手を上げるということに対する認識が軽すぎるんだよ。

 

もし、僕がどうしても人に手を上げてしまうタチであったとして、
自分の異常性と向き合って本気でなんとかしようとしたら、まず相手を自分から遠ざけると思う。

どうにもしようのない問題なのならば物理的な接触を断つ以外に方法がないし、
それが相手を傷つけずに済む最も確実な方法だからだ。

 

そこに、自分が寂しいとか、嫌だとかの感情は交えない。

本気で相手のことを思っていたら、
自分の気持ちよりもまず、相手の事情の方が先だろう。

 

安易に「二度としないから」などという言葉を吐くたりするのは、
そこに対する真剣さが足りていない証でもある。

 

なににつけてもそうだが、本気は行動が伴ってこそ。

そのセリフを吐かなきゃならんところまで自分からなにもしようとしなかった者に、
泣きの一回など要求する資格はない。

 

 

ケツに火がつくまで、寝あくびでもかいていたってのかい。

 

信用する、しない、以前の問題だ。

 

 

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