社会学的知見から考える離婚や家族の問題
世の理は法だけにあらず
離婚や家庭問題の相談となると、
一般的にはどうしても法的な観点から物事を捉えがちになるだろう。
しかし、法による離婚や家庭内の問題というものは、
あくまでもその問題が抱えている一論点というだけに過ぎない。
法律ってのは、いわば目の前にある問題を解決するためのツールであって、
問題そのものに関する理や対応法を考えたりできるような領域の知識ではない。
端的に言うと、なぜそんなことになったのか、
もっと言うと、なんのためにその存在や行為があるのかという視点を持たない対応法とも言える。
結局、そういった観点が欠けているから、
最終的には骨肉の争いになってしまうという側面もあるわけだ。
初めから裁判とかやる気マンマンならばそれでもいいとは思うけれど、
一人の大人、そして社会人として生きてゆくならば、その観点だけでは心もとない。
問題は解決するだけが対処法とは限らない。
そういった観点を養う上で、
社会学的見地から物事を見ることを学んでおくことも重要だ。
社会学って言っても、一括りにはできない掴みどころのなさみたいなのはあるよね。
実際のところ、僕自身も「じゃあ、社会学ってなに?」って聞かれて、
「こういうものだよ」と一言で説明できるような語呂は持ち合わせていない。
敢えて大まかに説明するならば、
問題を少し離れた場所から観察する視点とでも言うべきか。
問題を抱えている当事者であるほどそういった視点は欠けがちになるが、
案外、問題から思考を離してみたりすると思いがけない形で話が進んだりもする。
僕は元々、性格の面もあるのだろうが、
そういった観点から物事を捉えたりするようなクセがあったんだ。
問題に直面しているのは間違いなく自分自身なのだけれど、
その自分を離れて全体と周りを観察しているもう一人の自分が頭の上にいたわけ。
もとより教養のあるタイプの人間ではないから、
当初、僕の頭の中には「社会学」という言葉が存在しなかった。
それゆえにその思考を人に理解してもらうのに難儀したこともあったが、
今ならなんとなく定義することはできる。
僕の行ってきたのは、社会学的見地からの相談やアドバイスでだったのだろう、と。
離婚や家庭問題においても、
そういった観点から見てみると状況判断が大分変ってきたりもするんだ。
例えばだけれど、離婚における慰謝料請求をする理由に関しては、
法的な観点から考えると権利があるから等といった話になる。
しかし、一歩引いた観点から動機と行動を推察すると、
結局のところ、どちらが悪かったか、もっと言うと、どちらが勝って終わる話なのか。
それをはっきりとさせたいゆえに、慰謝料請求に拘っているという見方もあるわけ。
そういう風に問題を捉えると、またアプローチの仕方が変わってくるだろう。
そういう観点を学問として学び直す足掛かりとしても、この本は参考になった。
大分、若い頃に読んだ本だが、
その基礎は物事を考える上で僕自身の思考の根っことして今でも生きているな。
【物事に対して新たな視点を】
行政書士明和事務所
吉田 重信
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